大判例

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東京地方裁判所 平成3年(合わ)3号 判決

主文

被告人を懲役八年に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、若い頃より窃盗等の罪を犯しては服役を繰り返すなどし、最後の服役出所後は、看護婦をしていた妻Mと二人で東京都小平市内のマンションで暮らしていたものであるが、平成二年一二月五日朝、小平市内の自宅を出て、Mの同僚で東京都練馬区内に住むO方を訪ね、話しをするなどした後、同日午後一時三〇分前ころ、以前Mと同じ職場で看護婦として働いており、その後退職して東京都杉並区〈番地略〉の住居に一人で住むT(当時六四歳)の元に赴き、まもなく、T方一階廊下及び八畳間において、殺意をもって、刃体の長さ一〇センチメートル内外以下の刃物で、Tの左顔面、背中、右肩部等を数回突き刺し、また顔面等に足蹴を加え、さらに胸部を靴履きのまま踏みつけるなどし、よって、そのころTを、右肩部及び背部の各刺切創と胸部打撲もしくは圧迫による肋骨骨折に基づく失血及び呼吸障害により死亡させて殺害したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役八年に処し、同法二一条を適用して、未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、被告人に負担させないこととする。

(事実認定についての説明)

第一  関係各証拠により認められる事実及び被告人の認める事実

一 当裁判所が取調べた、被告人の当公判廷での供述及び検察官に対する供述調書を除く前掲各証拠、及びその他の関係各証拠によれば、被告人の行動を除く客観的事実として、以下の各事実が認められる。

1 Tは、長年看護婦として病院に勤め、昭和五八年ころ退職して、前記杉並区〈番地略〉の自己所有の住宅に一人で住み、年金と蓄えで生活し、琴、三味線、書道を習い、度々旅行をし、銀行預金等の預貯金類は四〇〇〇万円近くを有し、かなり余裕ある生活を送っており、平成二年一一月下旬には、佐賀から表彰式出席のため上京した妹夫婦と共に日光や箱根、伊豆に旅行し、その妹夫婦も同年一二月一日佐賀に帰り、本人は翌一二月二日から三日にかけて京都に出掛けている。

2 平成二年一二月五日午後一時二五分ころ、T方から、大人の男のぼそぼそと叱りつけるような声と、男の子の甲高い泣きわめくような声が聞こえ、それが二分間ほど続いた後、女の人の「助けて」という悲鳴が聞こえ、「助けて」「前のお隣さん助けて」という悲鳴が一〇回位続けてし、同時に壁をどんどん強く叩く音がしたが、その悲鳴もだんだん小さく遠くから聞こえるようになって、やがて聞こえなくなったことが、T方の裏のアパートの住人らによって確認されている。

3 翌一二月六日午後一時過ぎころ、かねてTから依頼されていた屋根修理の下見のため訪れた建築業者によって、Tが自宅一階八畳間で死亡しているのが発見された。

4 Tの身体には、右肩甲上部に創洞が頸椎に達する深さ七センチメートルの刺切創(前掲鑑定書第一章第三節において示された創傷の番号19のもの。以下同じ)、背部左側の肩甲骨下端より下方3.5センチメートルのところに胸腔に達して左肺を貫通する創洞の深さ約一〇センチメートルの刺切創(20)、左頬に長さ2.7センチメートル、創洞の深さ四センチメートルの刺切創(9)、(20)のやや右下に軽度の刺切創(21)、さらにそのやや右下に擦過傷(22)、脳にくも膜下出血の脳損傷(13)、左側頭部から左耳介周囲・左耳下腺咬筋部・左下顎部にかけての紫赤色皮膚変色を伴う擦過・打撲もしくは圧迫傷(3)、左第二ないし第九肋骨の各骨折(25)、右第二ないし第八肋骨の各骨折(26)、胸骨の完全横骨折(24)、頭部、顔面、胸、両腕、両手、両膝等に多数の打撲もしくは圧迫傷や擦過傷、左小指や右母指・示指間等両手指に合計八個の防御創と推定される刺切創があり、特に右母指・示指間のもの(35)は長さ3.8センチメートル、幅約1.5センチメートル、深さ1.5センチメートルに及び、右肩甲上部(19)及び背部左側(20)の各刺切創は、いずれも作用部の長さが一〇センチメートル内外以下、刃幅が二センチメートル内外の峰幅の比較的狭い刃物によるもので、肋骨骨折(25)、(26)や胸骨骨折(24)は、作用部が比較的広く、表面の比較的滑らかな鈍器又は鈍体によるかなり大きな外力によって前胸部付近を打撲もしくは圧迫したことによるものであり、死因は頸椎に達する創洞を有する右肩甲上部の刺切創(19)、左肺の損傷を伴う背部左側(20)の刺切創及び胸部打撲もしくは圧迫による肋骨骨折に基づく失血及び呼吸障害によるものであった。Tは、肌着、ポロシャツ、カーディガンを着、さらにその上にエプロンをしており、エプロン、カーディガン、ポロシャツ、肌着の各肩部・背中部には、前記(19)ないし(22)の創傷に対応する箇所四か所に刃物によると思われる損傷があり、エプロンとカーディガンの前部の胸下ほぼ同じような箇所に同種の損傷があり(しかし、ポロシャツと肌着の前部には損傷がない。)、Tの履いている靴下の底部分には多くの血痕が付いている。

5 T方の一階廊下の床には多量の血が流れた痕があり、その血痕は流れた血を擦った痕であり、廊下から八畳間入口さらに八畳間の死体のあった場所まで続いている。また廊下の両側壁面には手で擦りつけたような血痕がかなり付いている。廊下には血がかなり付いたスリッパやちぎれたボタンがあり、廊下の床の血痕上には座蒲団、膝掛け等がかけられている。八畳間には右の擦ったような血痕と入口付近に多数の滴下血痕があり、Tの血だらけの眼鏡や多量の血が付着した白手袋・布切れ等が落ちている。また、一階八畳間の洋服たんすの扉や二階寝室のたんすの引き出しが開けられ、二階寝室ではバッグ類が散乱せられ、ベッド上に手提袋等がちらかされており、滴り落ちたような血痕が、一階八畳間においてはテレビ上の預金通帳、小引き出しの在中物に、一階三畳間においては手提袋やその在中の本、テーブル上のルーペ等に、二階寝室においてはベッド上の白封筒・布製手提袋等、手提バッグや本棚引き出しの各在中物、床上の茶色バッグ、たんすの開けられた引き出しの在中物に、それぞれ付いている。

二  被告人は、当公判廷及び検察官に対する供述調書において、少なくとも次の点は認める供述をする。すなわち、

平成二年一二月五日午前中自宅を出て、妻の同僚であった東京都練馬区内に住むO方に赴き、その後O方を出てT方を訪ねたこと、T方の一階廊下及び八畳間で、自己が手にした小刀様の刃物でTを故意かどうかはともかく刺すに至り、またTの顔や腹等を何度か足蹴りしたこと、これら自己の行為により自己がT方を出るときはTは八畳間に動かずに倒れていたこと、を供述している。

三  Tの死亡が被告人の行為によるものであることについては、Tの死因が前記のとおりであり、被告人自身もその死因と結びつけられるような行為をしたことは認め、被告人がT方を去るときはTが瀕死の状態にあったこと、死因や時間の関係及び現場の状況からして被告人以外にTに死をもたらす行為をした者がいるとは到底認められないこと、から明白といえる。

第二  事実認定の理由及び弁護人の主張に対する判断

被告人及び弁護人は、本件の事実関係の基本として、T方一階廊下で最初にTが刃物で被告人に突きかかってきたので、その刃物を取ろうとして二人で揉み合い一緒に倒れた際、被告人が取り上げ手にしていた刃物がTに刺さった、その後八畳間でTが再び刃物を手にしてかかってきたので、それを奪い取ろうとして争いになり、その間被告人がTを蹴ったりし、最後に二人はからみ合うように倒れたが、その際被告人が奪って手にしていた刃物がTの肩部分に刺さったものであると主張し、したがって、被告人には殺意がなく、成立するとしたら過失致死罪か傷害致死罪であり、また正当防衛ないしは過剰防衛が成立すると主張する。しかし、当裁判所は、前記罪となるべき事実のとおり、それら主張を容れず、かつ、殺人の動機及び殺害の具体的態様については認定判示しなかった(その点では、起訴状の公訴事実のとおりとも認定していない。)ので、それらの理由を以下のとおり示す。

一  事実関係についての被告人の公判廷での供述

被告人の公判廷での供述は、あいまいであったり、変化している点も少なくないのであるが、事実関係についての概要は、次のように供述しているといえる。

被告人は、犯行当日の一年以上前から、妻Mのかつての上司であったTと付き合い始め、外で一緒に食事をしたり、買物に同行したりし、T方もしばしば訪れており、旅行に一緒に行ったこともあり、性的な関係も結んだことがある。その間、被告人は、食事代等を負担し、Tに高価なネックレス等を買ってやっており、さらに、平成元年中に二回にわたり計四〇万円、同二年中には八回にわたり合計で約一〇〇万円の金を貸してやった。Tは、これら借金については、平成二年一二月中ころに定期預金が満期になったら返す旨言っていた。同年一一月、被告人はTに引越し費用として必要なため、一〇〇万円を返してくれるよう頼んだところ、Tは、困っているときはお互いさまだからと言って、一二月初めに友達から一〇〇万円を借りてあげるからと言い、さらにその際一緒に払うからと言って、屋根の修理費用として一〇万円を貸してほしい旨言ってきたので、被告人は家賃に当てるべく持っていた一〇万円を貸してやった。ところで、被告人は、同年一〇月二〇日ころ、T方から、以前にその付近で声をかけられたYというやくざの男が出てくるのに出会い、Yから「親しくしていたTが昭和二二年四月に、一二〇万円を持ち逃げし、ようやく行方を突き止めて、Tに一〇〇〇万円返す約束をさせ、取り立てている。金を貸しているなら、いますぐ取らなければだめだ。」などと忠告を受け、その話を信用した。平成二年一二月四日、Tから明日来るようにとの電話があり、被告人は、一〇〇万円ができていると思い、翌五日、その返済を受けたらTと別れようと考え、そのためMの同僚のOに間に入ってもらうことにし、同日午前九時三〇分ころ、小平市内の自宅マンションを出た後、O方に立ち寄った。しかし、用件を切り出せないまま、O方を辞去し、途中、食事をするなどして、T方に向かった。

T方には、午後二時八分に着いた。一〇〇万円の件を切り出すと、金は用意できないと言われて、言い合いとなり、Tから、妻のMらも男から金を巻き上げている趣旨の悪口を言われたので、Yの金を持ち逃げした話をすると、Tの顔色が変わった。被告人が、Mらを明日連れてきてはっきりさせる旨言って、廊下を歩きかけたところ、背後から「殺してやる。あいつもだ。」との声がし、振り向くと、Tが胸の辺りに両手で刃物を構えて、小走りに突きかかってきた。とっさに左手で刃物を受けたため、自分は親指の根元辺りに怪我をし、Tから刃物を取ろうとしている間に、心臓の発作が起きそうになり、必死でTの足に足を掛けて、その体を押すと、Tは右肩を下にして横向きに倒れ、重なるように被告人も倒れた。同時に刃物を取り上げることができたが、刺すつもりがなかったのに、Tの右側の横腹と思うが、刃物が刺さってしまった。その後八畳間に行き、刃物を座卓に置いて、ニトロ(心臓発作を鎮める薬)を飲み、止血の処置をしていると、Tが来て、その刃物を持ち「殺してやる。」と言ったので、逃げようとしたが、立てずにいると、Tは掃除機につまずいて前のめりに倒れた。二回Tの顔を蹴り、被告人が立ち上がると、Tがしがみついてきたので、その刃物を取るために、腹や脇腹を二、三回蹴り、刃物を取り上げたが、Tも立ち上がった。向かい合って、Tが被告人の襟首をつかみ、もみあううちに、被告人は後ろに下がった際、掃除機につまずいて尻餅をつくようにして倒れ、一緒にTも被告人に抱かれる形で尻餅をつくようにして倒れ、被告人にもたれ、被告人が左手に持っていた刃物がまともにTの肩に刺さってしまった。

その後、怨恨による犯行であると見せかけるため、二階のたんすの引き出しを開けたり、中の物を出すなどした。その際、バッグ等に合計二〇〇万円以上の現金があるのを見つけたが、手はつけなかった。なお、刃物は、Tが母の形見と言っていたものであり、また、Tは悲鳴を一切上げていない。

二  事実関係についての被告人の捜査段階での供述

1 被告人の検面調書の任意性について

弁護人は、被告人の検面調書における自白は、被告人が心臓発作を起こしながら、長時間の取調べを受け、その間、取調刑事から恫喝され、押しつけられた自白を前提に、その影響下で検察官に対してなされたものであって、任意性がない旨主張し、被告人も右主張に沿う供述をする。しかし、東京拘置所長中間敬夫作成の捜査関係事項照会回答書、検察事務官作成の電話聴取書によれば、被告人は心臓の持病に対する投薬を受けつつ、取調べに応じていたもので、取調べ時間も適宜休憩を交えていたことや、推認される被告人の供述態度・内容からして長時間とまではいえず、かえって、被告人の取調べ経過に関する右供述には著しい誇張があると認められる。その上、被告人は犯行を自白した当初、なお凶器の形状や投棄場所等につき、虚偽の供述をしていたばかりか、検察官が、刃物の出所、悲鳴の有無、被告人が使用した男物手袋の出所、T方の現金等について、被告人の供述に疑問を抱きつつ、その言い分を録取している状況等も考慮すれば、検面調書における自白は任意になされたものというべきである。

2 検面調書の供述内容

Tと交際していたこと、Tに対し金銭を貸与したこと、当日T方を訪れたこと、Tと口論となり、Tが刃物を手にしてかかってきたこと、Tの刃物を奪い廊下でTを刺したこと、八畳間で傷の手当てをしていると、Tが再度刃物を手にしてかかってきたため、その刃物を奪い背中(ほぼ肩の辺り)を刺したこと、Tが倒れた後引き出しを開けたりしたことについて、基本的には、公判廷での供述と同様の供述をしている(ただ、刃物でTを刺す際殺意があったかのような供述をしている部分もある。)。

三  被告人の供述の信用性の検討

被告人の公判廷での供述と検面調書での供述について、その内容の信用性を検討する(なお、以下被告人の供述というときは、特に断らない限り、公判廷での供述と検面調書での供述の両者を併せたものを指す。)。

1 個々の事実についての検討

① Tとの関係について

被告人は、Tとしばしば会い、その自宅にも遊びに行き、性的関係を持ち、また品物を買い与え、金銭を貸すなどかなり親しい関係にあったように供述する。

しかし、被告人の供述自体が、例えば、Tと付き合い始めた時期について変転し明確でなく、性的交渉をもった経過やその交渉の程度・内容について変転し、さらには一時虚偽のことを述べるなど、変転しあいまいであったり、また、被告人からT方に電話をしたのは本件当日の朝が初めてであり(この点は、後に、自宅から電話をかけるのは初めてであり、外からはかけていた、と供述を変えてはいる。)、会う時はTから被告人の方に一方的に電話があって呼び出されるのみであったとか、会った時はTがする買物の代金は全て自分が払っていたとか、一〇万円以上のネックレスを四本も買ってやったとか、不自然、納得できないような内容を含むなど、総じて不審といえるものである。また、被告人の供述によれば、親しく交際しており、当日もあらかじめTからの連絡があって、指定された時間に訪れたというのであるが、Tは、被告人が訪ねたとき、エプロンをし、電気掃除機を使って掃除をしていたところであったと認められるのであるが、果たして、以前から交際していて訪問を約束した人を迎えるのに、しかも時間にやかましい人であるのに、右のような訪問に対し何も準備していないような状態であったのか疑問であり、むしろ、それは被告人のT方の訪問が、予期せぬ突然のことであって、親しい交際などなかったことを物語っているのではないかと考えられるのである(被告人自身も、この点、Tの状態が約束に基づく訪問と不釣り合いであることを意識したのか、公判廷では自己の訪問の直前に何者かの訪問があり、Tの機嫌がよくなかったことを述べるところである。)。のみならず、Tと以前一緒に働いていてその人柄等を良く知っているE、隣りに住み長年Tとも付き合っているD、Tが書道を習っていたUの各検面調書や員面調書、司法警察員渡邊彬作成の報告書、司法警察員久保正行作成の捜索差押調書、司法警察員中条善昭ら作成の検証調書などの各証拠から窺えるTの人柄・性格、その生活態度や生活振り、先に示したようなその資産・家計の状況からすると、気位が高いTが、自分の下で働いていた者の夫である被告人と、自ら最初に誘ったりし進んで親しく交際していたとは、まず考え難いのである。

また、Tに対する金銭の貸与について被告人が述べるところについては、右に掲げた各証拠及び司法警察員作成の負債金捜査報告書及び質取状況報告書、松谷かつ子の員面調書、M(被告人の妻・平成三年一月二二日付・不同意部分を除く)の検面調書、被告人の検面調書(平成三年一月九日付・全一一丁のもの)等の各証拠によれば、先に示したようにTはかなりの預貯金を有し、日常も経済的にかなり余裕のある生活をしており、几帳面で金銭面ではきちんとしていて貸し借りを嫌う性格であったことが認められる。一方被告人は、妻Mの退職金等数千万円を使い果たしたばかりか、遅くとも昭和六三年ころからサラ金やクレジットで借金をし、数店の質屋を度々利用し、クレジットで品物を買って質屋に入れて金銭を作ることも行っており、本件当時には約八〇〇万円の負債を抱えて、月々二五万円以上の支払いに追われ、被告人自身の年金は担保に取られて、サラ金等から借金の返済を催促され、金策のため妹や熊本在住の親戚の元を訪れたりし、生活は妻Mの年金とパートタイマーの収入でしている状態にあり、平成二年初め以降被告人が他人に金銭を貸し与えることができる状況にあったとは認められない。その上、Tに金銭を貸した経過・状況について被告人が供述するところは、あいまいであったり、例えば借用書を貰っていたというような虚偽と思える不審な点も含まれている。したがって、被告人が本件当日までにTに合計で約一四〇万円近く貸し与えていたということは、まず考え難い。特に、本件の一か月ほど前に屋根の修理代としてTに請われるまま一〇万円を貸したというのは、その貸借が行われた経過・事情について被告人が述べるところ自体に、不自然なものがあるばかりでなく、Tの家計の状況(Tは、何時でも引き出せる銀行預金や郵便貯金を持っていた。)に照らしても、また、まだ工事の見積もりもなされず工事の時期も代金も決まっていない時点で、Tが借用を申し込むというのも、不自然であることからして、信用できない。

してみると、Tとの親しい交際や金銭の貸借についての被告人の供述はおよそ信用し難く、むしろ、被告人とTとの間には交際や金銭の貸借はなかったものと推認できる。

なお、被告人は、一部Tの身辺の事情、例えば、妹夫婦の上京の件や屋根の修理の件などを、知っていたことが認められるが、それは、本件当日に、あるいはそれ以前に一、二度T方へ電話をしあるいは訪問して、会話を交わした際知識を得たものと解釈することもでき、必ずしもTとの親しい交際の存在を裏付けるものとはいえない。

② Yなる人物について

被告人は、当公判廷において、Yと出会い、前記のように昔Tが多額の金銭を持ち逃げしたことを聞かされ、さらに早く借金を返して貰うよう忠告を受けた旨供述するのであるが、Yとの出合いから同人に話を聞くに至るまでの経過、同人から聞かされたTの持ち逃げに関する話の内容、同人がTから念書を貰い、一部金を返して貰ったという話の内容など、いずれをとっても余りに不自然で、いかにも作り事の感が否めず、しかも、捜査段階でYという人物の話を一切出さず、公判になって初めて話をした理由も、納得のゆくものではなく、さらに、第一〇回公判になって、第一回公判の際Yが傍聴席に来ていたと、全く有りそうもないことを述べるに至っているのであり、Yなる人物に関する被告人の公判廷での供述は、全く虚構のことと断定できる。

③ O方に立ち寄った事情について

被告人は、本件当日T方へ赴く前にO方に立ち寄った事情について、Tと別れるについて仲に入ってもらう積もりであった旨供述する。

しかし、Oの検面調書によれば、Oはこれまで被告人とは全く話したこともなく、本件当日突然被告人が訪ねて来たもので、しかも被告人はとりとめのないことを話して帰って行き、O自身何のために来たのか分からなかったというのであり、そもそもTとの交際を断つのに、しかもこれまで縁切りの話を一度も二人でしていないのに、突如として第三者に入ってもらわねばならない理由は見出せず、当日ないしは間近になってから第三者に入ってもらおうとし、親しい仲でも頼み辛い役割をこれまで面識もないOに依頼することを考えついたというのも、不自然でおかしなことであり、秘密にしていたTとの交際を最後になってわざわざ自ら暴露するようなことをしたり(平成三年一月一一日付検面調書では、Oは口が固いので、誰にも話さないよう頼めば妻のMにも話さないだろうと述べながら、公判廷ではMに露顕してもかまわないと述べ、一貫していないところもある。)、あるいは一〇〇万円の返済という好意を受けに行くのに、T自身も秘密にしている交際を暴露することになる第三者を一緒に連れて行くというのも理解できず、被告人のO方を訪ねた事情について語るところは、到底信用できず、被告人が当日T方を訪ねたことと辻褄を合わせ、さらには自己とTとの間に交際があったかのように見せるためにした嘘であると認められる。

④ 被告人が本件当日T方を訪れた時刻について

被告人は、公判廷において、当日T方を訪れたのは、入る直前に腕時計を見ており、午後二時八分である旨供述する。

しかしながら、前判示のとおり、T方の裏のアパートの住人である証人Hや同Sの証言によれば、当日午後一時二五分ころT方から、当初大人の男のぼそぼそと叱るような声とそれに対する男の子の甲高い泣きわめくような声が聞こえ、その後女性の声で「助けて」「前のお隣さん助けて」と叫ぶ悲鳴が続けてし、同時に壁を強く叩くような物音がしたことが認められ、その女性の悲鳴はTが出したものであることは疑いがなく、その頃Tが何者かに攻撃されて、しかも、右Hが悲鳴等が気になり、友達のSを起こし、わざわざ表に出て様子を窺っていることからして、その攻撃の程度が相当激しく、Tがかなりのダメージを受ける程度のものであったことを推測させるのである。そして、右の悲鳴や物音から推認されるTが受けた攻撃は、Tの受傷状況やT方の現場の状況に現れたTへの死を導いた攻撃と対応するものであり、そうした激しい攻撃がたかだか一時間弱の間に、被告人の本件犯行以外にもう一度行われているとも考えられないので(もし、被告人がいうように被告人は午後二時八分にT方に着いて、悲鳴等が被告人が到着する前に発せられたとするならば、被告人がT方を訪ねた際には、Tが被告人にまともに応対することもできず、また、Tの身体に暴行を受けた痕跡が明瞭に残っており、被告人にも確認できたはずであるのに、被告人自身そのような痕跡について何ら述べていない。もっとも、被告人は、後の公判において、Tの顔が腫れていたとか、Tが男物の靴を隠した旨述べるが、それは後ににわかにとって付けたような供述で信用できない。)、結局、右の悲鳴や物音から考えられる攻撃は、被告人の本件犯行によるものと認められる。そうすると、被告人は、午後一時三〇分前にはT方を訪れていることになり、被告人は公判廷ではあえてその点について虚偽の供述をしているといえる。また、被告人は公判廷及び捜査段階において、Tは一切悲鳴を上げていない旨供述しているが、それもあえて真実を隠した供述をしていることになる。

⑤ 刃物の出所について

被告人は、帰ろうとして廊下を玄関の方へ四歩ほど歩いた時、Tが「殺してやる。」と言いつつ刃物を持ってかかってきたと供述し、そのTが持ってかかってきた刃物について、以前Tから看護学校を卒業したとき母親から形見として貰ったものであるとして見せてもらったことがあり、鞘付きで錦の袋に入っており、三畳間の押入れに入れてあったと思うが、当日は三畳間で目にしなかった、犯行後は刃物を水で洗い、廊下に鞘と袋が落ちていたのでそれを拾い、刃物や袋は後に捨てようと思ってポケットに入れ、結局自宅まで持ち帰って、ゴミ袋に入れて捨てた旨述べる。

しかしながら、被告人の供述どおりとすると、被告人が廊下を数歩歩く間に、三畳間の入り口に立っていたTが、刃物を持ち出し袋から取り出して、鞘を払って被告人にかかって行くだけの時間が果たしてあったか疑問であり、大人の男と男の子との言い合いからいきなり悲鳴に変わったという前記裏のアパートの住人らの証言とも、一致しない。しかもTが立っていたすぐ右手に台所があり、その台所のまな板の上には日頃使っていた包丁が乗っていたのであるから、とっさに凶器を取ろうとしたのなら、その包丁を持ち出すのが時間的にも早く自然であると考えられるのであり、母親の形見で錦袋入りで鞘付きのものを日常使っているといったことがあるのか大いに疑問であり、その可能性は一般に少ないと考えられるので、被告人の供述に従うなら、日常使っていなかったような錦袋入りの母親の形見のものをわざわざ持ち出したことになるのであり、それは甚だ不自然である。加えて、被告人は、Tの持ち出した刃物について、当初はTからヨーロッパ旅行のみやげであると聞かされたと供述しており、母親の形見であると言われていたという被告人の供述自体そもそもあいまいで、信用し難いところでもある。被告人は刃物を捨てようとして持ち出したというのであるが、凶器である刃物から自己の犯行であることが発覚しないようにするには、刃物を水で洗っているのであるから、それで足りるはずであって、わざわざ持ち出す必要性はないと考えられるのであり、元々T方にありしかもTが持ち出して襲ってきたのを奪い取って刺したというその刃物を、被告人が持ち出して処分したというのは(被告人が刃物をT方から持ち出したときの様子は、検面調書と公判廷での供述とでは、少し違って来ている。)、納得できないところがあり不審が残る。

⑥ 事後工作について

被告人は、Tを刺すなどして、同女が死亡したものと思った後、T方のたんすの引き出しを開けるなどし、物色したかのような痕跡を残した旨供述し、検察官に対しては、それはTの死亡が泥棒ないし強盗の犯行であるように見せるためであると供述し、公判廷では、怨恨による犯行であるかのように見せるためであると供述している。

そこで検討すると、検証調書によれば、血痕の付着や家具の状況等から被告人が手で触っていると認められる箇所・物件は、一階では、八畳間の洋服だんす、テレビ上の小引き出しと放置された神田信用金庫の定期積金証書、三畳間の紙袋、二階では、和だんすの最上段引き出し、整理だんすの最上段引き出し、大型本棚の引き出し、大型本棚前の茶色ショルダーバッグ、ソファ側の手提袋の中のポシェット内、ベッド上に散乱している封筒、パンフレット、布製手提袋、懐紙入れ等であるが、これらの被告人の触っている箇所、物件やその態様をみると、被告人がいうような他人の犯行と見せるための工作であったのか、疑問があるのである。すなわち、一見してそのような工作と思わせるのは、二階寝室の和だんすと整理だんすのそれぞれ最上段引き出しが引き出されたままになっている点とベッド上に各種の物が散らばっている点程度であって、もし他人の犯行に見せ掛けるための工作であったならば、もっと大げさに物色して乱したように見せ掛けるのが、自然であるように考えられ、しかも、限られた時間にやるのであるから、二階より一階に工作の跡を残すのが自然であるように思われる。また、一階八畳間の洋服だんすの引き出しやテレビ上の小引き出しの引き出し及び二階寝室の大型本棚の引き出しが、いずれも一旦開けられた後閉められているのであるが(これは、引き出しの内側に血痕が付着していることから否定できない。)、これは見せ掛けのための工作であるとすれば不自然であるといわざるを得ないのであり、テレビ上の預金通帳や一階三畳間の紙袋内、二階寝室の和だんすの引き出し内の紙製札入れ、ベッド上の布製手提袋とその内容物と考えられる物などに、工作であるにしては不自然な、すなわち、故意に点検したような物色跡が見られる。このようにT方に見られる物色されたような形跡は、被告人がいうように工作の跡というには、少なからず不自然なところがある。

さらに翻って、他人の犯行と見せるための工作をする必要があったのか疑問さえあるのである。すなわち、被告人とTとの交際は誰にも知られていない秘密の事柄であって、被告人自身もそれを承知していたならば(前記のとおり、Tの友人、知人誰もが知っておらず、Tが交際をもらしていた気配はない。被告人も妻に秘密にしていたほどである。)、被告人がT方を訪問したこと、ましてやTの死亡と関わり合いがあることは、疑われることはないはずであり、被告人がわざわざ他人の犯行に見せるため工作する必要はない。その上、Tを死に致したことが被告人の予想もしなかった全くの意外のことであるならば、なおさら工作をするより逸早く逃走を図るのが自然といえるのである。さらに、もし被告人がTとの交際が少しでも知られていることをおそれて、他人の犯行に見せるため工作したというのなら、被告人が公判廷でいうような、怨恨による犯行であるように見せ掛けるためというのは、誠におかしいことになる。というのは、怨恨による犯行となれば、交際があった被告人が疑われる可能性は濃くなるからである。被告人は、工作をした理由について、捜査段階と公判廷で変え、さらには、工作をした際、本件前一一月に屋根の修理代としてTに貸した一〇万円が、封筒に入ったままあったとか、二〇〇万円の現金があった(Tの家計のやりくり状況からして、そのような大金が居宅内に置いてあったとは、認められない。)とか、明らかに嘘といえる事柄を供述しているのであって、これらの点をも考慮すると、被告人が他人の犯行に見せ掛けるため工作をしたというのは、虚偽の弁解である可能性が高いといえる。そうすると、T方の物色の跡は、見せ掛けのための工作行為によるものではなく、真実物色の意図で行われた行為によるものと考えることができるのである。

2 被告人が供述する個々の事実についてそれぞれ右に検討したが、その検討を踏まえた上、被告人が供述する①Tが最初に刃物をもってかかってきたとの点、②被告人のTに対する攻撃の内容、について検討する。

① Tが最初に刃物をもってかかってきたとの点について

被告人は、前記のとおり、一〇〇万円を都合つけるといっていたTが、当日一〇〇万円を準備しておらず、かつ、被告人のため用立てねばならない義理がないように言い出したので、被告人がTをなじると、Tが被告人の妻の悪口を言ったので、被告人が更にYに聞いていた昔の金銭持ち逃げの件を口にして、そのまま帰ろうとして廊下を歩きだすと、後ろから声がしてTが刃物を持ってかかって来た旨供述するのである。しかしながら、被告人がいうようにTと親しい交際をしていたとか、Tに金銭を貸し与えていたとか認め難いことは、前記のとおりであるから、被告人がTからの連絡によって、一〇〇万円を返してもらいに赴いたというのは信用し難い。しかも、被告人がいう一〇〇万円の件も、あらかじめTが友達から借りて被告人に渡すというのか、被告人が友達から借りるのに保証人になるというのか、二人の間のやりとりがちぐはぐであって、事前に二人の間で話しがあり、被告人としてはどうしても一二月初めに一〇〇万円必要であったため頼んだというにしては、すこぶるあいまいなところがあり、前日Tから明日来るようにと電話があり、当日朝も被告人から訪ねる旨の電話をしたというのなら、肝心の一〇〇万円が用意されているのかについて何ら尋ねなかったというのも、おかしなことであり、前記のとおり、被告人が訪れたときのTの状態は、あらかじめ約束していた訪問者を迎えるにしては不自然である。また、二人の間で言い合ったという悪口の内容も、はなはだ品性を欠くといえるものであって、突然にそのような内容の言い合いをするのか、特にTが「抱かせてあげたでしょ。」「みんな男をつくっている。」といった類のことを果たして口にしたのか、少なからぬ疑問があり、それらの言葉は、むしろいかにも俗世間のことを知った被告人らしい発想で思いついたまま作り上げている感が否めない。その上、被告人が供述するTが手にしてかかって来たという刃物の出所についても、疑問があることは、前記のとおりである。

右のように、被告人の供述するところには、少なからぬ疑問、不審な点があり、さらに見逃せない疑問は、被告人とTとの間で言い合いとなり、Tが興奮したとしても、すでに帰ろうとしている被告人にTが刃物でもって突きかからねばならない理由も動機もなく、被告人を傷つけ殺害すれば、Tが不利益を被るだけで、得るものは何もなく、被告人が供述するTが刃物で突然突きかかってきたということは、あまりに唐突すぎ容易に信じ難い出来事である。以前からTが被告人に恨みを抱いていたような事情も見当たらず、直前の言い争いもわずかな時間であり、言い争いをしたとしても被告人とは以後縁を切れば済むことであり、帰ろうとしている被告人に対し傷害や殺害の意思を抱く理由は、全くないのであり、被告人がいうTが刃物をもってかかってきたということは、唐突過ぎて、はなはだ信用し難い。ところで、被告人は、公判廷において、Yなる人物を登場させ、同人から聞いたという金銭持ち逃げの件を言い争いの際口にし、それを耳にしたTの顔が青ざめた旨供述し、Tがひどく激高したかのように供述する。しかし、Yなる人物の話しは全くの虚構であることは、前記のとおりであり、したがってTをひどく激高させるようなことを口にしたというのも、虚構の作り事といえる。

なお、被告人は、Tが刃物を持ってかかってきたとき、左手を出したため親指の根元付近を刺され出血した旨供述し、被告人の妻Mの平成二年一二月二七日付検面調書(全二五丁のもの)によっても、被告人が本件当日左手親指根元付近に割合深い切り傷を負っていたことは認められる。そこで、被告人の右の傷について考えると、被告人はTに対し、右手が不自由なため自由の利く左手に刃物をつかみ、着衣を貫いて刺し入れ前記のような傷を負わせているのであり、相当力を入れて刺したことは推測に難くなく、しかもその刃物は、被告人が平成三年一月一二日付検面証書(本文三丁のもの)において、自ら使った刃物として図示するところからすると、鍔のない刃物であると認められるのであり、負傷の部位にも照らすと、Tを刺した際刃物がずれるなどして自ら負傷したものと十分考えられ、被告人の負傷が必ずしも、Tのかかってきたことを裏付けるものではない。

以上のとおり、Tが刃物を手にしてかかってきたという被告人の供述は、もはや信用できないのであるが、さらに考えると、被告人が、辻褄の合わない不合理、不自然なことを上げて、Tがかかってきたことを主張し、Yの件などを全くの虚偽の事実まで作り上げて、その主張を通そうとするのは、被告人が自己に有利な事情を強いて作り出そうとする意図を示しているものといわざるを得ないのであって、それは逆に、Tが刃物をもってかかってきたことはまず無かったことの証左となるといえる。

② 犯行の全般の状況について

被告人は、刃物でTを刺した状況において、(a)廊下において刃物をもってかかってきたTの刃物を奪い取ろうとして、足を掛けて倒した際、同時に倒れ、Tの脇腹に刃物が刺さった、(b)八畳間においては、刃物を持ってかかってきたTに対し揉み合っていて、Tを抱くように倒れた際、肩に刃物が刺さった旨述べるのである。

そこで、まず、先に示した客観的事実である、Tに見られる顔面や背中の刺切傷、頭等身体各所にある打撲、擦過・圧迫傷、刃物に対する多数の防御創、肋骨の骨折などの受傷状況、現場のT方一階廊下及び八畳間に見られる多量の出血の跡などの状況、Tの着衣に残されている靴跡の状況、Tのかなり切羽詰まった何度にもわたる悲鳴や同時にしていた激しい物音の状況などからすると、Tは、鋭利な刃物で前面及び背後から何度にもわたって突くなどの攻撃を受け、そのため少なくとも顔面と右肩を各一回、背中を三回刺され、特に、右肩甲上部と背部左側の刺切傷は、重ね着した衣類を貫き身体内部深くまで達しているのであって、相当な力で刺されたものと推定され、また頭、顔面等にかなりの力で数度にわたって打撃を加えられ、さらに胸部に肋骨骨折をするほどのかなりの強い打力を受け、靴で胸部を踏みつけられるまでされるなどの、かなり執拗で激しい攻撃を受けたことが認められるのであり、しかもそれら攻撃は、短時間のうちに連続して集中的に受けているのであって、それは明らかに激しい攻撃の意思、単に傷害の意思に留まらず殺害の意思をも推定させるに十分なものといえる。Tの履いていた靴下の底にかなりの血痕が付いていることからしても、Tが死亡する前に、血を流しながら逃げまどうなどの相当の動きをしたことも推測されるのである。

右のことを前提に(a)について検討すると、Tが刃物をもってかかってきたということ自体が否定されることは、前記のとおりであり、また、Tの腹部については、着衣の前部の胸下に刃物で刺された跡はあるものの、刃物による傷害がないので、もし被告人のいうとおり腹部に刃物が刺さったとしても出血は無かったことになり、被告人のいうことによっては、廊下に少なくない血液が流れた跡があることの説明がつかない。さらにTが悲鳴を上げて助けを求めながら、同時に壁を叩く音がしているのであって、廊下の現場の構造や廊下、壁面に残された血痕の状態等に照らすと、それら悲鳴や物音の大部分は廊下で発せられ、Tの顔面に刺切創があり、身体の各所に打撲傷や擦過傷があり、また刃物に対する多数の防御創があることからすれば、廊下において被告人からTに対するかなりの刃物による攻撃および蹴る等の暴行があり、それらは一方的なものであったと認定できるのであり、被告人の廊下での状況に関する供述は全く信用できない。

(b)については、まず、八畳間においてTが刃物をもってかかってきたという被告人の供述自体、変化しており、例えば、平成二年一二月三一日付検面調書では、Tが刃物をとってかかってきたとは言っていないのに、平成三年一月一一日付検面調書では、テーブルの上に置かれた刃物をとってかかってきた旨述べ、公判廷では、検証調書のテーブルの位置が変わり、刃物を置いた位置も変わり(被告人は、検証調書に示されたテーブルの位置が、自分が八畳間でTを刺したときにあった位置と変わっており、検証調書に示された位置の反対側、廊下からの入口の左手で押入れの前にあった旨述べるが、実況見分調書の写真98や検証調書の写真102、103、138、149にみられるように、被告人が公判廷でテーブルがあったというその位置の畳上には血痕があり、逆に検証調書にみられるテーブルのビニール製テーブル掛の下がった部分には血痕が付着し、テーブル掛で覆われていたテーブルの下の畳上には血痕がないことからすると、被告人の言うように犯行後テーブルの位置が動かされた可能性はない。)、検察官に対してはT宅に行ってからは、心臓発作が起きそうになったことは何ら述べていないのに、公判廷では発作が起きそうになり、廊下でTを刺した後八畳間でニトロをなめた旨述べ、八畳間でTが刃物でかかってきた経過についての供述自体が変遷し、公判廷ではTの攻撃の様子が捜査段階よりますます詳しくなり、八畳間で刃物をとってかかってくるTに対し、「Yのことを誰にも言わないから。話せば分かるから。」と言った旨、全く検面調書でも話していないことを突如として、ことさらTが執拗に刃物をもってかかってきたことを強調せんがための明らかに虚偽のことさえ述べ、Tの肩部分を刺した状況に関する供述部分も、Tの右肩部分の傷害の部位、凶器の刺入方向等と符合しなかったり、背部左側の三か所の刺突については何も説明していないなどし、八畳間でのTとの攻防に関する被告人の供述全体が、およそ信用し難いのである。

さらに、翻って考えると、Tが果たして刃物を取り上げかかってくることがあり得るか大いに疑問がある。自ら先に刃物をもって被告人にかかってきたことはなく、廊下においては被告人に刃物で刺され、蹴られるなど、相当執拗な攻撃を受け、悲鳴を上げていた被害者が、被告人が傷の手当てなどして隙があるのを見て、刃物を取り上げ逆襲としてかかっていくことがあるだろうか。むしろ、そのような隙があるならば、真先に助けを求めて玄関等から逃走を図るのが自然と考えられるのである。

してみると、被告人のTに対する犯行について供述するところは信用できず、先に認定のかなり激しい攻撃が一方的にTに加えられたものと認められる。

四  結論

以上のとおりであって、Tに対しては刃物により突く、刺す、蹴る、踏みつけるなどの執拗で激しい加害行為が、被告人によって一方的になされ、それらは殺意を推認させるものであるから、弁護人及び被告人の正当防衛ないし過剰防衛の主張はもとより、過失致死、傷害致死の主張は理由がなく、本件については殺人罪の成立が認められるのである。

なお、被告人がTを攻撃し死亡させる動機があったかという点であるが、被告人の多額の借金をかかえていた経済状態や、被告人がT方を訪ねたのは、被告人の供述によっても少なくとも金銭の交付を受けることが目的であったこと、前記のごとく被告人がTの居宅内を物色した疑いが強いことからすると、被告人がTを刺して死亡させるに至る動機は存在し得るといえるのである。しかし、その動機については、いまだ確定的に認定するだけの証拠が十分あるとはいえないので、罪となるべき事実としては判示しなかった。

(量刑の理由)

本件犯行は、動機をいまだ確定するには至らないが、少なくとも被害者側に殺されねばならない事情はなかったといえるのであり、突然被告人に凶器を振われ、暴行を加えられて、無残にも命を奪われたもので、看護婦を長年勤めた後、趣味や旅行を楽しみ、残された人生を最大限精一杯生きようとしていた被害者の無念さは測り知れないものと思われ、兄弟らの悲しみも深い。そして、犯行態様も、鋭利な刃物で、悲鳴を上げる被害者の背中や顔面を刺し、さらにその顔面を足蹴にしたり、靴履きのままその胸部を踏みつけるなど、執拗かつ冷酷である。それに対し、被告人は捜査・公判を通じ、本件の全貌を明らかにせず、特に公判では、被害者に原因があるかのように自己弁護に終始しており、どれほど反省しているか疑問である。若年のころから窃盗を犯して、六〇歳半ばまで服役を繰り返していながら、七八歳にしてまたもや殺人という大罪を犯したもので、反社会的な性格は容易にぬき難いものがあり、被告人の本件についての責任は厳しく問わねばならず、刑事責任は重いといわざるをえない。したがって、被告人が心臓に持病を抱えていること、家族の状況等、被告人のために酌むべき一切の事情を考慮しても、主文の刑が相当である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官松浦繁 裁判官西田眞基 裁判官渡邉英敬)

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